角袋 展 Tsuno-bukuro: an Exhibition of
Horn Bags
角袋と呼ばれた袋を集めだしたのは、いつ頃からか、定かではない。
手織りの巾 35センチ前後の反物を、バイヤス状に縫い上げた袋。
おそらく、穀物等を入れたのであろう。
長年使われ、破れて擦り切れては裏から継ぎあてをし、伸びきったもの・・
年号と持ち主の名前が墨描きされたもの・・
大麻、苧麻、楮 科など 同じつくりながら、
素材によって、時間と共に変化の違いがあり驚かされる。
日本だけなのであろうか?
つのぶくろ すみぶくろ 名前の由来は?
どの地方に多く使われていたのか?
この展示会で、明らかになることを、期待したい。
  I don't remember when I acquired my first tsuno-bukuro "horn-bag," but I've been collecting them for many years.
Tsuno-bukuro are composed of a single long piece of hand woven fabric, sewn together on the bias to produce this uniquely shaped long bag.
Some of the pieces I've collected are torn and repaired with many small patches.
Others have the original owner's name and date of purchase written on them in sumi ink.
Even though they have always been constructed in the same way.
their shapes would change with use over time depending on the fabric they were made from: cotton, hemp, lindenor paper mulberry.
Were they made only in Japan?
Does the name "tsuno-bukuro" refer to the two points at their openings that result from their diagonal construction?
Or does it mean something else entirely?
When and where were they used in Japan?
What were they filled with?
I hope that some of these questions can be answered with the pieces.
I'm presenting in this exhibition.
 


今回の「角袋展」は昨年の「米袋展」に続いて、「袋」の展示会でした。
今思えば、15年ほど前から、角袋、米袋の区別なく「袋」というものに惹かれて集めていたような気がします。
そしていつ頃からか、角袋、米袋という名前を認識し、気がつけば、それぞれの展示会ができる程の数が集まっていました。

米袋、角袋の展示会を二年続けて開催してみて、解ったことは、米袋を使う風習はまだ各地に残っているということ、対して
角袋は日々の生活の道具だった為、日本人の生活の変化と共に、使われなくなり、人々の記憶から、忘れ去られてしまったということです。





古い道具には、時々、年号と所持していたと思われる人の名前が入ったものが見つかります。
「何年何月吉日」または、「何年何月新調」と書かれています。
そこからは、新しく使い初めの覚悟というか、長く使うぞ、という気合みたいなものを感じます。
今回展示したものの中で、4,5点、年号の入った袋がありました。 一番古いので、「文化拾四年・・・」の大麻に柿渋をかけたもの、、一番新しいので、「昭和38年・・」シナ布の袋がありました。 おそらく、使われ始めは、もっと前にさかのぼると思いますが、いつ頃からかははっきりした証拠がありません。

後者の「昭和38年・・」の方は、まったく使われた形跡がありません。
昭和38年(1963年)はオリンピックの前の年で、それから1972年には田中角栄の「日本列島改造論」が刊行され、日本中津々浦々に道路が整備されて、その役目を終えて消えてしまったのでしょう。

どの地方に多かったのか?という疑問には、推測ですが、日本中にあった可能性があります。
素材から推測すると、今回35点の中で、3分のTがシナ布、あとは3枚の木綿を除いて、大麻でした。 シナ布というと、近世以降は、北海道、東北でしか布は織られていないので、少なくても北の方は、存在していた可能性はあります。
では、西日本はどこまで? 大麻は日本中で繊維にして布を織っていたので、西日本にも当然あったと思われます。

あと、木綿がなぜ私が集めた中で、少ないのか? 袋に興味があり、樹皮繊維だけを集めた訳ではないので、何故少ないのか?
たかだか30数枚で、決め付けはできませんが、木綿はまだ次の役目があったということが考えられます。
つまり、ボロボロで継ぎ接ぎの袋も、また解いて、雑巾やおむつの役割が待っていました。
もっとボロボロになっても、切り裂いて、布団や敷物の中に綿の代わりに入れて、使い切ったということです。










次の疑問点は、日本だけなのか?
このことも、研究者でもなく、各国をフィールドワークした訳でも無いので、言い切れませんが、
今回来られた方の中に、ガテマラとインドの織物に詳しい方が来られましたが、
かの地では、見たことが無いとのこと、 それから、形状からみて、着尺の巾でないと、
袋には なりにくいということから考えて、おそらく日本だけかと・・
ただ、韓国の方が、絹で出来た小さなふくろがバイヤスだったかも?と、台湾のどこかで見たとおっしゃった方がおられ、 まだ断定は出来ません。


6日間35点をながめて、多くの方と、お話して、みなさん感じてくださったことは、

「斜めっておもしろい!」

ということでした。 縦糸と緯糸からできている一枚の布を、鋏を使わず、斜めに縫い上げることによって、伸びやすく縮みやすい、つまり出し入れし易く、繋ぎ目がほつれにくい とても賢い形状になるという事に、改めて気がつき、皆驚きました。 そして、このことは、今後、限られた資源を、皆で分け合ってやっていかなくてはならない未来にも適した形状ではないか、との話にまで及びました。 多くの方と「人生も物も少し、良い意味でちょっと斜めに見れば、新しい発見があるよね!」等と確認しあって、会期を終えました。

”斜め文化”乾杯!!!